人生の折り返し地点を通り過ぎて半世紀となったオヤジが年金暮らしになる頃に懐かしむ雑記録

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久しぶりにブログで感動した「親と子と教育と成長」

普段からあまり感動することが無くなってきているのは年を重ねて見ちゃったことが多くなってて鈍感になってしまってると思っておりますアラフィフのオヤジで御座いますが、なんとなくはてなブログを眺めていた時に目にとまったタイトル

【続編】子どもの携帯代が高いと思う方へ~100万を高1娘に投げた結果…~NAI・NAI起業のなまはげみき vol.9

タイトルからの最初の印象は...携帯代で100万円は高いだろ、銀座のホステスだって年間60-70万位なハズだけど...でした。当然、クリックで読み進めて見て感動の内容でした。

家庭での教育

教師が手を上げれば体罰言われ、挙句の果てに家庭で教えなければならないような道徳的、善悪の区別なども学校に依存しようとする「構成上は親」が蔓延。学校では勉強を教えることが教育であり、先生という特別であるハズの地位が職業となっている最近。

教師が自分の担任するクラスの入学式に出席せず、わが子の入学式に出席することが選択肢になること自体が異常だし、その行為に大して親である者たちの一部が容認できると言う時限が、いまの教育の現場であり、家庭の教育(教師)に対する意識を露わしているように思う。

教師の意識やレベルの低下が引き金となったのか?子供を授かったことで親になったと勘違いをしている未熟な「構成上は親」が引き金なのか?は、「ニワトリが先か?タマゴが先か?」と変わらんように思えるが、発生の原因はともかく、現状を打破するには国や政策が手を出したところで解決しないのは、多くの人が想像できるだろう。

解決する根本は、家庭内での子供の教育を真っ当にするしか方法は無いが、未熟な「構成上は親」自体に自覚が無い限り無理なのは明白。仮に自覚があったとしても、その時点で更生するには現実的には無理だろう。

理想的な親子関係

この感動したブログで実践している行為自体は、それほど難しく無い。と、言うよりも行為自体は非常に簡単なものである。行為よりも親と子の意識が重要であって、信頼関係がベースになった理想的な位置関係であると思ったし、実践することで親子が双方共に成長しているように感じた。

よく子供がいて成長した...という話を聞くが、単に我慢強くなったとか、この子の為なら何でもできるとかが例としてあがってくるが、ちょっと違うように思っていた。精神面というのか、意識と言うのか、それが何かは今でも分からないけど、説明ができない何かが成長すると言うことのような気がする。

こんな親子関係を築いている家庭がどのくらいあるのか?多くあって欲しいと思う。

ビジネス面に影響する親子関係

子供がどのように育てられたか?社会の中、仕事をする中で大きく影響すると考えている。

よく2代目ボンボンはダメと言われるが、誰しもがこれは家庭での教育課程が原因だと容易に想像がつくだろう。分かりやすいパターンなので極端な例としてあげたが、一般家庭でも当てはまると言う事も理解しやすいと思う。

「親の顔が見たい」と言う言葉「親の顔=育て方」として理解もできるし、社会に出てデキが悪い場合の多くは親(家庭での教育)が原因であると考えていたと思える。

逆に「蛙の子は蛙」や「トンビがタカを生んだ」など、親子関係を比喩している諺もあるように、子供の責任は親にあることを再認識した気になった。

親子関係でブレてはダメなコト

無償の愛が基本になるべきであり、ここから「信じる」「信頼する」をベースに関係を築く必要があり、教えると言うよりも「理解させる」が正しいのであろう。

先のブログ100万を高1娘に投げた結果では、このブレていない関係を再認識した気がする。


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