水商売から会社設立までの軌跡

水商売から会社起業

26歳頃までの水商売

【バーテンダー】→【六本木ディスコ(バーテンダー・支配人)】→【赤坂レストランバー(支配人)】→【六本木ホストクラブ(副社長)】→【六本木クラブ(専務)】→【無職】→【銀座レストランバー(支配人)】

バーテンダーを辞めた後、様々な店を作り軌道に乗せる業務請負の会社との契約で、

上司と仲間たちと六本木ディスコの運営。

不動産関連と会員権の売買で急成長した会社がオーナーとなる赤坂レストランバーの担当へ移動。

契約通りの売上を達成して契約終了、と同時に業務請負会社とはフリー契約に変更。

ディスコとレストランバーでの人脈(客)を活かして、

元青山のディスコの支配人が社長に就任したホストクラブのオープンに副社長で参画。

オーナーは某大手有名食品メーカーの放蕩長男でした。

ホストクラブのオーナーの意向で、オーナー友人の経営する六本木クラブの専務を兼任。

この時点で月収200万円+経費100万円くらいだったが、預貯金は0円の水商売男の経済状態。

稼げる環境と「裏付けのない自信」から、必要な金は稼げば良いと考えていたし、

実際に稼げていたのが預貯金0円の理由かも知れません。

そして、最悪の場合は同棲している女性(ホステス)に依存すれば…なんてことも頭にあったように思います。

と言う考えから、嫌なことがあれば辞めるという性格が災いして、

ホストクラブもクラブも辞任し、

月収300万円を放棄して無職に転落。

半年ほどヒモ状態を続けることに…

その後、ディスコ時代の先輩が店長を務める銀座のレストランバーに支配人として就任。

ちなみに月収40万円に暴落。

27歳で水商売から昼職へ

私の両親は銀座のバーテンダーと高級クラブ(つや)のホステスだったので、

水商売への憧れと執着は強かったのは確実です。

ずーっと水商売を続けていくには最終的に店を持たなければ悲惨な末路が待っています。

しかし、

当時はバブルが終わっていたと言っても小箱の店を開業するにも莫大な金が必要でしたが、

銀行は水商売風情に金を貸してくれる風潮はありませんでしたから、

店を開けるという選択肢は当時の私としては絶望的と考えていました。

色々と良くない頭で考えを巡らせた結果、

資本金300万円を用意できれば有限会社が設立可能ということを知って、

漠然と社長になるという目標に大きく舵を取ることにしました。

目標が決まったら即実行というのが私の唯一の長所!

銀座のレストランバーを辞めて面接活動をスタートです。

がっ、

100社以上の面接を受けて全落ち…

アルマーニのスーツ(ダブル)にベルサーチのネクタイ、靴はグッチ…

そんな風体ですから当然で、合格するのがおかしいのは後に気が付きますが、

当時はバリバリの水商売からの転職という事もあり、

若気の至りが招いた結果ですね(笑)

採用1社目

その後も面接を続けて十数社目に中途採用でした。

高級輸入食器の代理店に入社することが出来たのですが、

実際はスェーデンの高額(25万円以上)な掃除機(コンコーディア)を

都内の幼稚園、保育園、小学校、中学校の職員室で教師相手に実演販売をする職域販売と言う仕事でした。

騙された感を抱えながらの数ヶ月間を過ごしましたが、

カッコつけの水商売男は3台を販売して給料も頂かずにバックレました。

採用2社目

その後も面接は諦めること無く続け、

暫くして応募した会社は説明会から筆記試験、面接という

過去に経験のない手順踏んだ会社でした。

昔からイケイケの派手な年上に気に入られるタイプだったのと、

「裏付けのない自信」で合格の連絡を待っていました。

そして、勝手な思惑通り数日後にまんまと期待通り入社決定となりました。

 

この会社は某外国語学校の東日本エリアの社長が税金対策で興した輸入商社。

後に海外留学関係でトラブルを起こした会社の社長としてニュースなどで

土下座したシーンが流された人物のオーナー会社で、

堅気には見えないヤバそうな方でしたが、

水商売上がりの当時の私からするとキナ臭い人物には慣れていましたので、

別段気にすることもありませんでした。

また、職種的には希望していた内容でしたし、

オフィスもAIOS(朝日建物の高級レンタルオフィス)の広いスペースだったことで、

エエカッコしぃの水商売男としては満足で、

昼職になれたことと希望給与の30万円支給に喜んでいたのを覚えています。

 

で、最初の仕事は電話帳(タウンページ)を渡されて、

営業先を自分で見つけると言うイケイケ不動産屋的な手法でしたが、

昼職経験の無い私としては、こんなものだろーと言われるがまま実行しました。

アポはそれなりに取れるものの実際に取引になる確率は低く、

自分の営業能力を疑い始めていましたが、

結果的には商材(販売商品)と営業先がマッチしていないと言う結論に至りました。

この会社は、輸入商社と名乗ってはいますが、実際は輸入商品などを国内仕入れをして、

通信販売会社へ卸す業務がメインだったので、商材は通販商材だったのです。

取引先のターゲットを通信販売会社へ変更しましたが、

多くのメインどころは既に取引をしており、

マニアックと言うか弱小の通販会社しか見つけられない状況でしたので、

見方を変えて変わった商品を取り扱い小売店への営業を開始することにしました。

巨塔の攻略

その第一候補は「東急ハンズ」そして「西武ロフト」の当時の2大巨塔の攻略です。

当時は知りもしませんでしたが、

大手の場合は取引口座というものを取得しないと直接商品を納めることが出来ない商習慣がありました。

この知らなかったことが幸いなのか、

イキナリ店頭へ訪問して担当者を捕まえて営業するという無謀な行為に打って出てみましたが、

最初は相手にされずでしたし、自社の社長も先輩も期待はしていなかったような状況でした。

口座の開設は担当者の責任や手続きの面倒さがハードルとなって

社内で力のないスタッフに新規口座の開設をお願いしても開設は難しいですし、

力のあるスタッフであれば社内の目や立場を意識して開設は困難を極めます。

 

まずは東急ハンズの攻略と決めていたので、東急ハンズの渋谷店・池袋店・横浜店を毎日順番に、

商品ごとに各売り場を訪ね歩いて一ヶ月後程で渋谷店で取引口座を獲得出来ました。

水商売で培った「人たらし」は通用しなかったので、地道に真面目に相手の邪魔にならないように、

忙しそうであれば挨拶だけして営業せず、売り場のスタッフ人数分の缶コーヒーを差し入れなど、

きっと営業マンの基本なんだと思いますが、

過去に経験のない私にとってはストレスの溜まる相手主導での一ヶ月間でした。

しかし、これが功を奏したと思っています。

 

口座開設が出来たことで渋谷店内の全ての売り場への納品が可能になりましたが、

同時に当時に東急ハンズ渋谷店は、東急ハンズ内で最も売上の高い店舗だったので、

渋谷店の口座開設は都内および近郊の東急ハンズの口座開設の

プラチナチケットを手に入れたようなものでした。

そして、ライバル店の西武ロフトも同様です。

渋谷の東急ハンズの口座を獲得している業者として、

都内全店の口座開設に成功しました。

商品開発に参加して

これにより入社4ヶ月目くらいには同期入社の中では最も売上を上げていましたので、

商品開発にも参加できるようになりました。

海外の雑誌で見つけた指輪型の時計(リングウォッチ)に目をつけて

社長に5000個の輸入をお願いしました。

かねてから自社輸入商品を欲していた社長でしたが、

総額1000万円を超える仕入れには躊躇しており、

とりあえず2000個の手配をして貰えることになりました。

営業経験がない水商売上がりとしては、

ディスコのオープン時の方法をそのまま実行しました。

1000枚の商品リリースを社内のカラーコピーで作成、

メディアや日本全国の小売店、時計店などへ郵送。

もちろん、取引先の小売店にはサンプル持参で営業し、

リリースを送った先には電話で追っかけ営業や

サンプルの送付などの日々を繰り返しました。

その中で、情報雑誌DIMEに記事として取り上げられた事で

消費者や小売店などからの問い合わせ電話が

対応しきれないほどとなり、

当然の如く、リングウォッチは大ヒット商品となり

かなり大きな利益を出すことが出来ました。

このリングウォッチ

輸送コストを含めても原価は2000円程。

上代(希望小売価格)は9800円なので、

BtoBでの販売価格は5880円、利益率65%です。

消費者直販だと利益率80%弱なので、

初回7000本だけでも2600万円以上の利益を出したことになります。

その後も順調に大ヒットとならずとも

それなりに成績を伸ばしておりましたが、

そんな水商売上がりの欠点は「調子に乗る」と言う

チャームポイントがありました(笑)

成績優秀だけど解雇

調子に乗った女好きの水商売上がりは、

社内にいた社長の愛人に知らずに手を出したことで

会社内で社長にボコボコにされて解雇…

自業自得ではありましたが、

これが起業のキッカケとなるチャンスタイムと信じて

なけなしの有り金を集めて法人設立へと向かっていくのでした。

つづく…

次回は「水商売上がりが会社作ってバブリー生活(前編)」

Misc

Posted by SGR888